川淵 三郎さん  (当時Jリーグチェアマン)

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1995年11月-月刊:介護ジャーナル掲載より

「地域のスポーツ環境に貢献したい。ボランティアが支えるJリーグつくる」

全く興味はなかったサッカーを、ひょんなきっかけで始めたのが高1のとき。以後早稲田大、古河電工へと進み、東京オリンピックで活躍というサッカー人生は、4年前のJリーグ開幕で頂点を極めた。若き日のドイツでの体験を通して語る日本のスポーツ環境、障害者問題。そして、ボランティアや資金援助に対する考え方も披露する。

●原点は35年前のドイツ車いすのスポーツに衝撃受ける

地域社会に根ざしたスポーツにというJリーグの理念は、大学4年のとき訪れたドイツのスポーツ環境が原点という。「体育館が3つ、芝生のグラウンドが8面、ホテルやレストラン、医務室もあって、そのすばらしさにびっくりしました。日本のスポーツ環境もこんな風になるといいなと…」地域の人が気軽に行けるスポーツクラブを数多く作り、指導者もつけて子供達に楽しんでもらいたい、そのサンプル作りをJリーグはして行きたいと主張する。「子供だって、運動神経のいい子と悪い子がスポーツすると、カバーしあったりしますね。そうやって人間関係を構築して行くものですが、今は原っぱがなくて、それもできない。そして塾。何か遊ぶことはやっちゃいけないことみたいになってるけど、これはほんと、世の中間違ってる」こんな問題の解決にJリーグが一役担えたら、というわけである。35年前の若き日に訪れたドイツで、もうひとつ衝撃を受けたことは、そのスポーツ施設で車いすの人達がスポーツを楽しんでいたことだ。「車いすの人もスポーツしたいのかって、ショックでした。当時はまだ、日本の障害者は外に出かけない時代でしたから」ドイツではそのころすでに、車いすでバスに乗れるようになっていて、「この国には100年たってもかなわないだろうな」と実感したという。障害者のためだけの施設なども、いかにも日本的でよくない、パラリンピック(障害者のオリンピック)がさほどマスコミに取り上げられないのも、国民の意識が低いからだと思っている。

●健康法は“温泉の素”

老後は動物とのんびり暮らす今年、初孫が誕生した川淵さんの健康法は、毎晩の入浴。湯冷め防止のため、必ず“温泉の素”を入れる。「歯はよくブラッシングして大切にしています。運動は週1回のゴルフ。女房の母親はもう80歳で、先日手術したんですが、ひ孫を見るために大阪から来ましてね。人間は目的ができると生き方も変わるんだなと思いました」老後は、田舎の庭の広い家で、動物をたくさん飼って、のんびり暮らすのが夢。犬を10匹、猫数匹はほしいとか。

●発展の鍵はボランティア資金援助は「させてもらってありがとう」

Jリーグが発展して行くためには、ボランティアの存在も大きいと川淵さんは話す。現在、鹿島アントラーズの地元では、町の人達が切符切りや駐車場の管理などをボランティアでやっているそうだ。「町のチームのために貢献するのが心地よいことだとわかってくれているんです。2002年のワールドカップが招致されたら、こんな人が増えないとやってゆけません。そのとき50,000人のボランティアが働いて、そのうちの5,000人がおもしろみを感じてくれたら、そこからの地域における広がりは計り知れないものがある。W杯の開催は経済的なこと以上に、こういった効果が大きいと考えています」Jリーグは、介護サービスのための時間貯蓄のボランティア団体「さわやか福祉財団」(ロッキード事件を担当した元裁判官、堀田力氏主宰)に援助を行っているが、「援助させてもらってありがとう」という気持ちでしているという。「アメリカのスーパーボウルで見たんですが、そのチャリティーでお金を出した人はみんな、『こんな機会を与えてもらってありがとう』って言うんです。これにもショックを受けて、僕も勉強させてもらいました」労力でなく、お金での援助については多少困惑する部分もあったようだが、「やはりお金は必要ですし、労力とお金は同じ価値なんだと堀田さんに教わりまして、ずっと続けております」