三浦 雄一郎さん

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1994年03月-月刊:介護ジャーナル掲載より

「いくつになっても自然と生きる 単純な思いつきや夢をかなえてきた」冒険スキーヤー 三浦 雄一郎さん

パラシュートブレーキを使っての富士山直滑降で、冒険スキーヤー三浦雄一郎を印象づけてからもう27年。自然の素晴らしさに包まれ、自然を相手に次々と夢と冒険に挑んできて、今、61歳。老年への入り口に立ったというところだろうか。そのライフスタイルと老後への姿勢について語ってもらった。

年齢の限界は考えないことに高校、大学を通じて、スキー、山登りに夢中になっていた。北海道大学を卒業後、北大の獣医学部薬理学教室の教官助手になる。だが、スキーでオリンピックに出場すること、ヒマラヤに登りたいという夢は、ずっと抱いていたという。突然のような思いつきで、30歳近くになって、アメリカ世界プロスキー選手権に出場、いきなり総合3位とトップテン入りをしてしまう。そのとき「10年やって、世界一になろう」の決意をして、今がある。しかしながら、プロスポーツの世界で30歳目前の肉体は若くない。10年後は40歳である。「確かに、生理的には、10代後半から20代がベストの状態でしょうが、年齢は考えないことにしたんですよ。若い時は、精神的に不安定で弱いけど、30代は、賢くて理想的な生活やトレーニングをして、いい仕事ができると自己暗示をかけたんです。するとそうなるんですよ」三浦氏ならではのオプチミスティックな自己コントロール法である。
死地であの世の楽しみ方を思う2年後、31歳のとき、イタリアのスキースピードレースで世界新記録を樹立し、さらにその2年後にはパラシュートをつけて富士山を直滑降し、冒険スキーヤーの地位を確立する。「それまでも富士山で滑っているんですが、直滑降で一気に滑り降りたらおもしろいだろうなぁというまんが的発想が出発なんです。富士のあとは、オーストラリアのコジアスコ山、アラスカのマッキンレーと、あちこちを滑降しているうちに、世界一高いエベレストでやってみようと…。単純な思いつきや夢なのですが、それがたまたま、誰もやっていないことだったというだけなのです」冒険者には、いつでも死と隣り合わせの危険が潜んでいる。死にそうな目に遭い、よく助かったなぁという経験は、10本の指に余るという。その「もうだめだ」と思う場面で、考えることは、三浦氏の面目躍如といったところ。「あの世で、何を楽しもうかなあ、とか、3000年後、3億年後は、どの星で何をしているだろうかとか考えているんです。そして万が一、助かったら、こんな豪華なぜいたくな経験はないなぁー、ともね…」
老後の送り方は父が手本7大陸の最高峰でのスキー滑降を完全達成し、区切りをつけたのが54歳のとき。現在51歳。「今は、割合にのん気にやっています。昨年はシーカヤックで知床半島と積丹半島を一周しました。チームをつくってやるんですが、僕が最年長。冒険ごっこ、探検ごっこの旅は一生続けます。飽きませんね。」スキーや山を教えてくれたのは、父親の敬三氏。90歳を越えた現在も、山スキーを楽しむ。「おやじとおふくろはまさに対照的で、おふくろは、観劇や音楽などは楽しむが、寒いスキーなんてイヤと、自然の中に飛び込むことを避けていました。昨年80歳で亡くなる前の4年間くらいは、介護が必要な状態でした。おやじは、公務員生活のかたわら、どんなときにも自然を楽しんで、スキー連盟を作りあげるなど社会的活動やボランティアにも力を注ぎつづけている。おやじの昔の仲間で年をとって危険だからとスキーをやめたり、孫の面倒を見ると家に引きこもった人は、80歳くらいでヨボヨボになっているんですよ。そんな例を見ていると、老後はおやじのように生きられたらいい。そう生きようと思っているんですよ」

キリマンジェロの三浦ファミリー(’81)左から父、敬三氏、雄一郎氏、豪太(次男)、雄太(長男)、朋子(奥さん)、恵美理(長女)