オスマン・サンコンさん

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2006年08月月-刊:介護ジャーナル掲載より

ギニア大使館顧問 タレント  オスマン・サンコンさん(57歳)

日本で一番有名なアフリカ人は?と聞かれたら、誰もが「サンコンさん!」と答えるだろう。いつもニコニコと屈託のない笑顔は、遠いアフリカのイメージを、一気に身近でフレンドリーなものに変えてしまった。フジテレビの『笑っていいとも』でもひょうきんな人柄で人気者になったが、素顔はギニアの元外務省職員という、優秀な頭脳のお偉いさんなのだ。大好きだったお母さんの思い出や、故国ギニアのとっておきの秘話を伺った。

●母のために介護ヘルパー2級を取得

「1コン2コン・サンコン」のフレーズでおなじみのサンコンさんは、1949年(昭和24年)西アフリカのギニア共和国ボファ生まれ。首都にある国立コナクリ大学とフランスのソルボンヌ大学で学んで、ギニア外務省へ入省。日本に大使館を開設するために、23歳で来日した。「外国に行くのは、僕の感覚では親不孝じゃないかなと思ったけど、母は『おまえ、お国のためにずっと海外暮らしになるんだろ』とわかってくれたんです」と当時を振り返る。大家族の中で育ったサンコンさんは、大のお母さんっ子。ギニアの家へ帰るたびに、いつもお母さんがひざの上で抱っこしてくれたそうだ。「折れないか心配になるくらい細い足なのに、あんたはいつまでも子どもだねって。年を取ってだんだん抱っこができなくなったら、母のそばに一緒に座ってマッサージしてあげたの」サンコンさんはそんなお母さんのために衣服や靴を送っていたが、「オシャレして出かけるわけじゃなし、品物はもういらないよと。それで、代わりに母に何ができるか」と考えて、ヘルパーの資格を取ることに決めた。忙しい時間をやりくりし、2級資格を取得した。5年前のことだ。さっそく車いすをプレゼントすると、お母さんは大喜び。「アフリカには、ほとんど車いすないよ。向こうは地面に石が多くて、転ぶと怖いからあまり外に出られない。母を乗せて一緒に出かけたりしました」またギニアでは暑いため湯船につかる習慣がない。お風呂を作った時も、近所中に自慢するほど喜んでくれた。「ヘルパーの資格を取って、ほんとによかったですよ」

●老人ホームでお年寄りとふれあう

そんな母思いのサンコンさんが、日本で心なごむ場所がある。ライフワークのボランティアで訪れる老人ホームだ。「埼玉県の大宮に諏訪の苑というホームがあって、僕が兄貴と呼ぶ友人が苑長をやってるんです。母が恋しくなった時は兄貴の所へ行って、お年寄りの皆さんと握手をする。すると母を思い出しちゃうの」と微笑する。「いろんなお年寄りに年齢聞いてね。『サンコン、あの人90歳なんだよ』『へえ、うちの母と同じじゃない』とか。実はここでヘルパーの資格を取ったらっていわれたんです。ギニアに帰った時、母のために役立つんじゃないかって」お年寄りとのふれあいや介護の勉強の中で、たくさんのことを学んだ。日本では家の造りも老人向けの工夫がされているという。“生まれて以来3段以上の階段を登ったことがない(笑)”母のための家造りにも、大いに参考になった。「母は1度日本へ来たんですよ。テレビの『家族そろって歌合戦』に出るため。その時、病院のドックで検査したら、どこも悪くなかった。ただ若い頃水汲みをして、重い甕(かめ)を頭に載せて歩いたのが原因で腰を痛めたから、注射を打ったり首を固定するベルトをもらって帰ったよ」その最愛のお母さんも、去年の暮れに92歳で亡くなった。老衰だった。最後に帰国した時「おまえが一番遠くにいるから」と、母からもらった指輪が形見になった。その指輪を見せてもらった。少し大きめで、ほんのちょっとだけ歪んだ銀の指輪。サンコンさんは大事にいとおしむように、お母さんの形見の指輪を、そっと自分の指にはめた。

●えっ、ギニアで“砂金採り”?!

アフリカ大陸の西側、赤道の少し上がギニア共和国だ。人口は800万人で、大きさは日本の本州と同じくらい。1958年にフランスから独立した。国旗は赤黄緑の三色旗で、赤は独立の情熱と血、黄は豊かな資源、そして緑は自然を象徴している。この国旗の通り、ギニアでことに素晴らしいのが豊かな自然と資源である。だから、「ギニアは、21世紀そして次の22世紀に向かって、ものすごく注目されている国なんですよ」と、サンコンさんの言葉にも力が入る。「ボーキサイトとアルミナは、オーストラリアに次ぐ世界第2位。金とダイヤモンドも多い。ギニアの資源の10%を開発しただけで、もう国民はアラブの国みたいに永遠に税金を払わなくてもよくなるくらい」想像するだけでワクワクするような話だが、さらに驚くことに、「金は北ギニアが最も多くて、シギリという町の奥様方は昔から畑仕事はしないで、朝早く起きて川で“砂金”を採って、それを市場で売ってお金に換え、買い物して帰る。今でもそう。ほんとよ。僕の奥さん、そのマリンケ族なんです。日本のことわざにもあるじゃない、“早起きはサンコンの得”って。アハハハ」まるでおとぎ話かメルヘンの世界のようではないか。緑も豊かで、大西洋沿岸にはマングローブの森が2000kmも続き、魚もいっぱい。沖縄とよく似た自然環境で、しかも紛争がなく平和なので、ヨーロッパからの観光客も多いそうだ。

●大切にされるギニアのお年寄り

「うちの母は死ぬまでボケなかったよ。ギニアにはボケのお年寄りはいない。自然や大地の持つ力のせいかもしれないね」とサンコンさん。日本で一番びっくりしたのが「姥捨て山」の話だったという。「ギニアでは『お年寄りが一人死ぬのは、図書館が一軒焼けてなくなるのと同じ』のたとえがあります。お年寄りのそばに行けばいろんな知識が得られるから、生きた図書館みたい。だからみんなそばにいたがるし、お年寄りの最後を看取るのが自慢で、看取った人は尊敬される。ストレスが多くて忙しい日本のお年寄りよりも、ギニアのお年寄りの方が幸せなんじゃないかと、私は思ってるんですよ」時間に追われる日本からギニアに帰ると、こんなにボーっとできる時間があっていいのか、逆に心配になるくらいだとサンコンさんはいう。ギニアにも老後のための家を準備中で、首都コナクリから50km離れたコヤに果樹園を持っている。「ここに仲間たちとログハウスを建てて、日本からの“砂金採りツアー”なんかも企画してみたいですね(笑)。老人ホームを作るのもいい。雨季の間はちょっと辛いけど、それ以外だったら天国みたいだから、ギニアに来た日本人はたぶん帰れなくなっちゃうんじゃないかな(笑)」観光地や景勝地なら世界の至る所にある。だが小鳥の声で目覚めて、朝ごはんは近くの木から自分でもいだマンゴーといった、時間が止まったような環境の中で“何もしない自由”を満喫するのは、現代社会では最高の贅沢といえるのではないだろうか。こうした土地で過ごせば、日本人の考え方、生き方そのものも変わってくるに違いない。そのためにもサンコンさんには、日本とギニアを結ぶ親善大使として、ますます活躍してほしいものである。