坪内 ミキ子さん 女優

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2003年12月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時63歳)

手をかけ、愛をこめて、母を見守る日々

娘にとって母という存在は、ある種、運命共同体的なつながりを持つものなのかもしれない。
母が娘を通して未来を見るように、娘は母の中に懐かしい過去を見い出すのだ
。坪内さんも、そんな娘のひとりである。母・操さんの介護と向かい合って6年。
他人には言えないさまざまな葛藤もあったに違いない。だが淡々と、ときに少女のように屈託なく語る姿からは、愛情に裏打ちされた、母と娘の静かで穏やかな時の流れが感じられるのだった。

◎転倒した母が寝たきりに

お昼の人気番組『おもいッきりテレビ』(日本テレビ)の収録を終えてやってきた坪内さんは、画面の中と同様、少しも飾るところのない謙虚な人柄の女性だった。おっとりした育ちのよさがにじみ出る口調に、若々しく可憐な声が印象的である。
日本の近代文学と演劇に大きな功績を残した坪内逍遥を祖父に持ち、父は演劇評論家、母は宝塚歌劇団のスターという恵まれた家庭で育った。大映映画『陽気な殿様』の弥々姫役でデビュー以来、『座頭市』シリーズやNHKの『連想ゲーム』などで、お茶の間の顔に。
「母は13歳で宝塚に入団し、結婚後は夫婦で社交クラブに通ってました。妥協をしない、自分をはっきり持った人でしたね。ビリヤードや乗馬にゴルフ、スケートとあらゆるスポーツを楽しんでいたようです」
しかし今年で102歳になるその母の操さんは、6年前に自宅で転倒したのをきっかけに、急速に足腰を弱くしてしまう。「骨折もしていなかったのに、メンタルなショックが大きかったのでしょうね。転んだらおしまいだ、迷惑をかけると、ずっと気を張ってきたものですから」 懸命な介護生活が始まった。
寝不足の日々が続く。だが2ヵ月後に誤嚥性肺炎で入院。この入院生活で、操さんは本当の寝たきり状態になってしまった。

◎手作りスープと一押しグッズ

退院後は、2人のホームヘルパーに交替で24時間ケアを受けながら、操さんの在宅介護を続けている。
「本当は病院や施設の方がいいんですが、母の場合はまず無理。
5分と誰かがいないと叫んだり、自分の要求は決して曲げませんから」 しかし在宅での手厚い介護で操さんの心も落ち着き、坪内さん手製のスープで体調も改善した。
「鳥のダシとたくさんのお野菜をベースに、日によってウナギやシラスの佃煮、豆を入れ、離乳食を混ぜたものをミキサー食にしています。私も食べてみましたが、けっこうおいしいんですよ。病院では見た目が悪いミキサー食ではかわいそうで、母には刻み食をスプーンでつぶして食べさせていましたが、要介護度5の今はそれではとてもだめで、ミキサー食にさらにとろみをつけています」また、水分補給の際に重宝しているのが、曲がるストローがついた“ドリンク用タベラック”だそうだ。
吸う力が弱い高齢者用に開発された、押し出し式の楕円形のボトルである。
「あと母のお気に入りは、ヘルパーさんが作ってくれた、手指の拘縮と褥瘡予防のための“ビーズスティック”なんですよ。
オムツカバーもむれないように使い古しの薄いバスタオルで作ったり、パジャマの下をマジックテープにしたりと、全部彼女たちの必要から生まれた工夫なのです。
介護に関してはベテランなので褥瘡もできませんし、だからやり方はおまかせして、なるべく邪魔にならない程度にお手伝いしています」

◎ジレンマと共に介護する喜びも

介護を通じて感じたことは、との質問に、坪内さんはゆっくり噛みしめるように答える。「生きるつらさ。生きるって、つらいな…と」。
手をかけ愛情をかけて介護をすればするほど寿命は延びるが、その先に待っているのは死でしかない。
「せめて私が出ているテレビでも観てくれるといいんですが、最近は疲れるからと、昼間も目をつぶったままで」
華やかな過去があればなおさら、互いの胸中には複雑な思いが交錯するのだろう。
嫌味にならないよう、ヘルパーにそっと昔の写真を見せることも。
「母に限らず、誰もが花も恥らう時代があったということを、心して知ってほしいなと思いますね。
また、介護家族の皆さんが最も悩んでいるのが、ヘルパーさんの質の問題。お互いの相性や好みもありますから、数多くのよい人材を選択できる状態になるといいですね。それに要介護の認定についても、まだまだ不満です」存命中だった父の世話に明け暮れる母のために、仕事をセーブしてきた坪内さんは、今でも親への思いや責任を引きずったままドラマや舞台に集中できず、女優という看板がつらいですがと、小さく笑う。
「でも叔母がよく母に、『義姉さんはよっぽど前世でいいことをしてきたのね。義姉さんみたいに幸せな人はいない』って言っているように、本人にとってどうかはわかりませんが、やはりよそ様からお幸せな方ですねって言われるのが一番うれしいですね」と、どこまでも母を気遣う娘のやさしいまなざしで微笑んだ。