三浦 敬三さん スキーヤー・山岳写真家

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2002年01月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時97歳)

夢は白寿(九十九歳)で、氷河を滑降

冒険スキーヤーとして世界的に名高い三浦雄一郎さんの父、敬三さんは日本の山岳スキーの先駆者であり、97歳の現在もなお現役スキーヤー兼山岳写真家として国内外で活躍されている。
誰もが避け得ない年齢という壁をいともやすやすと乗り越え、常に新しいチャレンジを続ける三浦さんに、驚異的とも思える素晴らしいスキー人生と健康の極意についてお聞きした。
ぜひとも元気印のエキスを皆さんも享受していただきたい。

◎八甲田が山岳スキーの原点

8年前に最愛の奥様を亡くされた三浦さんは、独り暮らしで家事をこなしながらも、かくしゃくとした若々しい身のこなしと優しく温かな笑顔で迎えてくださった。
部屋の白壁の、コンクールに出展した雄大な山岳写真の数々が鮮やかに目に飛び込み、見入っていると「よい写真を撮るのには長い時間をかけます。
山は季節によって太陽の高さが違うので、適した撮影時間も違ってくるんですよ」とさすがに山を知り尽くした三浦さんらしい説明を添えてくださった。
1904年(明治37年)に青森県で生まれた三浦さんは、子ども時代には下駄を改造した手作りの“下駄スケート”で遊んでいたが、旧北海道帝国大学の学生時代にスキーとの運命的な出逢いをし、同時にカメラにも興味を持ったという。
「先輩たちがあんまり楽しそうにスキーの話をしていたもので、つられてスキー部に入ったんです。それで21歳の時に“八甲田〜十和田縦走スキーツアー”に参加しまして…」。
当時、険しい八甲田山はまだ深い雪で覆われていたが、三浦さんは行程の途中で見た神秘的な樹氷の雪原の美しさに陶然となった。
「その樹氷に魅了されたことが、山スキーを始めるきっかけになったわけなんですよ」。
以来、青森営林署に勤めてスキー指導にあたるようになってからも数多く八甲田に入り、この地が三浦さんの長いスキー人生の原点となった。
「昔はリフトもなくて、スキーで遊ぶ人もほとんどいませんでしたね。
息子(雄一郎さん)は子どもの頃から私の後ろをついて来ましたが、教えるつもりはなかったので、私と同様自分でスキーを覚えたんですよ。まぁ、我が家の伝統というか、私は環境を与えただけでして、孫も今では父親の腕前を抜くようになりました」。
海外にいるひ孫さんもスキーをするそうで、4代にわたるスキーヤー一家とは、想像しただけでも何とも豪快である。

◎独自の健康法が現役の秘訣

さてテレビなどでも有名になった三浦さん独自の健康飲料“酢卵ドリンク” だが、これは生卵を殻ごと酢に漬けたもの大さじ2杯に、ミキサーですった黒ごま中さじ2、きな粉中さじ2、カナダで買ったかぼちゃの種をやはりミキサーでつぶしたもの、松の実、てんさい糖小さじ1、ヨーグルト大さじ1を混ぜ牛乳で溶かしたもので、三浦さんは朝夕2回飲むそうだ。
主食は完全食としての玄米ご飯。玄米3:胚芽米1の割合で炊いたものだが、固いのでよく噛むことになり健康にもいいし白米よりおいしいとのこと。
また1年のうち110日〜150日はスキーに費やす生活のため、毎日のトレーニングも欠かせない。
「朝5時に起きたら、私が考案した独特の体操と深呼吸をするんです」。
まず首の運動、次に口を大きく開ける運動を150回、舌を出す運動、そして「あいうえお」と50回いう。このメニューをこなすと頭に血が巡り爽快だそうだ。
加えて、7月までは体調を整え、9月に入ると体力の増強とスキーで下るための筋肉増強訓練を、椅子やテーブル等を利用して室内で行い、外ではタイムを決めて歩く・走る運動をする。
「こうやって体力を維持するんですが、歩くとご飯がおいしいから続くんですよ(笑)。
大切なのは、体力と呼吸ですね。
私は自分で調合した香料(クスノキ・ジャスミンなど)を吸いながら腹式呼吸をするので、耳と頭の血流がよくなり、香りで気分もスッキリして元気が出ます。
それと、これは年長者の皆さんにもいえることですが、運動のために歩いて疲れると自分の体力の限界だと思って止めてしまうんですね。
でも私たちは逆に段々距離を延ばしていくんです。そうすると2カ月位で本当の体力がつくようになりますよ」。
こうした毎日の地道でたゆまぬ努力があってこそ、生涯現役の人生も可能になるのだろう。
そして、尽きせぬチャレンジ精神と情熱。還暦(60歳)で初めて海外のスイスへ行って以来、三浦さんは写真仲間とも毎年国内外へ精力的に出かけている。
今後の目標は98歳でツェルマットへ、そして次の白寿(99歳)の記念にはモンブランの氷河をもう一度滑ってみることだそうだ。
白銀の中を鳥のように滑降する三浦さんの姿を想像するだけで、生きる勇気が湧いてくるようだ。