橋 幸夫さん 歌手

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1993年11月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時50歳)

「夢はお年寄りと家族が一緒に暮らせる コミュニティー施設と街づくり」

昭和35年に「潮来笠」でデビューした橋幸夫さんも、今年50歳を迎える。3年前に母サクさんを亡くした。
老人性痴呆症の母親を6年間介護した経験は、それまで関心のなかったボケや老人のこと、福祉のことを考えるきっかけとなる。
そして「誰もが避けては通れない現実がある」と日本人として、地球人として人生観を捉えるようになり、お年寄りを抱えた家族が一緒に生活できるコミュニティー施設への夢を抱きながら、歌手としてまた講演に東奔西走している。

◎母の介護経験が人生観を変えた

母サクさんの幻覚というボケの初期症状が出始め、2年ほど経過してから医者に相談したというように、信じがたい状態がボケなのかもしれない。
やがて痴呆特有の徘徊(はいかい)がひどくなり、最後の1年は有料老人ホームのお世話になった。
その貴重な経験がコミュニティー施設の構想を持つようになる。
「いまの老人ホームは、お年寄りばかり集めているからいけない。
それに人間として分別があり、それなりの社会的地位のあった人を、少しボケはじめて機能が低下しただけで、保育園と同じような扱いには矛盾を感じますね」という。

◎衣食住で『住まい』が一番欠けている

「実際に実現できるかどうかわからないけれど」と前置きした橋さんは、将来のライフワークの夢について。
「戦後、日本が経済成長してきた中で一番欠けているのが、衣食住の“住まい”です。建物の問題だけでなく、お年寄りや熟年者を基盤とする家“ベストホーム”を建てる時期に日本は来ています」と語る。
本当に人間が生きている生活基盤を考えると、寝泊まりする住まいは大切であり、意外となおざりにされてきた部分だという。
そして、この地域コミュニティーのとれる街づくりについても「例えば、住宅供給メーカーとタイアップして、40戸や50戸の総合住宅を建てる。そこには、老若男女がいて医者やいろいろな職業の人達が住む。
ハンディキャップを持っている人にとって安全で生き甲斐の持てるゾーニングをつくるんです。
もちろん敬老の精神が住民には必要です」また、65歳以上のお年寄りを抱えた家族を優先して入居させ、同居を入居条件に挙げている。

◎生きて来た軌跡を子孫に継承していく

しかし、いくら建物や形ができても、住む人の思いやりとハートの問題をどう克服していくかが課題だという。
それには学校教育にまでことは及ぶ。
「いま、若い人でも介護福祉士になる人が多いんだけれど、はたから見ると3Kできたない仕事じゃないという見方をされる。
そういう見方をする人の心の方が問題なんですね。
そういう話題になると、日本人はすぐ宗教に結び付けるんだけれど、結局は学校教育の根幹を変えないといけないでしょう。
そして、ここ数十年間、日本人は自分のことしか考えないという時代が続いていますが、これを元に戻さないと日本は崩壊しますよ」と危機感さえ抱いている。
そして、日本人は一生は一回という一世代観を持っているが、何十億人の中の一人として生きて来た価値を未来永劫、子孫に受け継いで行く気持ちを育てることこそが大切だ。
橋さん自身も二人の子供の父親。母親の介護をしている父を目の当たりにした子供にとっても、いい勉強になったようだが、避けては通れない高齢者の問題に、このコミュニティー施設の実現に向け夢を抱き、いろいろな機会があるごとに言い続けていきたいという。