清家 清博士 建築士/東京工業大学名誉教授/東京藝術大学名誉教授

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1993年12月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時75歳)

「“肩こり・頭痛の経験なし” 75年の人生の極意」

人間生活を優先する住居学を提唱しつづける。わが国の住居・建築学の第一人者、清家清博士。一般には、家相学の権威として、広く知られる。
家相について、かつて書かれた本が、ベストセラー、ロングセラーとなっているからだ。
日本の伝統・気候風土に沿った「住まい」を探究する清家博士の人生スタンスもまた、自然に沿って、無理をしない。
「肩こり・頭痛知らず」という、うらやましいような75年の人生の、その極意は?

◎老後の住まいは、同居が幸福

著書「やすらぎの住居学」(情報センター出版局刊、910円)で、清家博士が唱える住まいの本質は、「住まいは、家族の共同生活を包む容れ物であり、人間らしさの容れ物である。
すなわち、そこに住む家族の一人ひとりの発想や意識こそ、住まいづくりの根源にあって、生かされるべきものである。
建築物や家具什器など、モノの問題は、本来、副次的な問題で、重要なのはあくまで家族の生活である」という。
そこから考えられる老後の住居は、「狭くても、やっぱり同居が幸福」とし、自身、同じ敷地の中に、別棟だが、長女一家と暮し、ふたつの家族でコミューンをつくり、便利と楽しみを享受しているという。
では、年寄りのいる家庭の住まいでとくに心がけることとなると、心身機能と防災。
具体的にいうと、適当な高さのベッドで、イス式の居間、脱衣場と風呂場の温度差の少ない浴室、便所は内開きのドアではなく、冬季は暖房をきかせ、洋式便所で。
便所・浴室などの壁には、握り棒を設置する—等々が挙げられる。
清家氏の建築士としての仕事は、国民休暇村などの、いわゆるリゾート・ホテルも手がけるが、都市の一戸建住宅が主。
「施主は、よく知っている人ばかり。先方の奥さんはもちろん、財布の中身まで知ってるようなヤツばかりですよ」互いに、よく理解し合って、1年に1作ペースのゆとりの仕事ぶりだ。

◎イージー・ゴーイングでやってきた

1918年、京都生れ。小・中・高は、神戸で過した。
「神戸は、北に山、南は海に開き、地面のどこに立っても、東西南北が把握できるわかりやすい町です。
神戸の人も同じで、おっちょこちょいで、お人好しで、すぐにわかる。
神戸二中の同窓に、小磯良平さん、東山魁夷さんらがいますが、小磯さん、東山さんの絵は、誰でもわかるでしょう。
私の描く家も誰でもわかってくれると思うの。
なかなかおもしろい住宅だとね」でも、1000メートルの六甲山で遭難する人もいれば、須磨沖でフカに喰われる人もいる。神戸はそういうところだとも。
平明だが、奥が深いということ。そして、いつもする神戸自慢は、小学校校舎。
大正時代に、鉄筋コンクリート造りで、水洗便所がついていて、「六甲の水」(笑)を流していたこと。

その先生がまたおもしろく、「便所は、学校の方が、ええ気持ちやろ。自分のうんこが見えるから、よう見て、昨日と同じならええが、違うたら、保健婦さんのとこへ行けとね。食べたものが、体を経巡って、うんこになって出てくるんだから、うんこは、体の情報を持って出てくる、センサーなんですよ」と、この方が語ると、うんこも清潔な印象となるほど。
これまでの人生の苦労をうかがうと—「幸せな人生で、苦労したことなかったです。今だに肩が凝ったことも、頭痛がしたこともないんです。幸せだからです。小学生時代の先生のおかげで、うんこもよく出るし…」と、淡々とした語り口。
ゆるやかに流れる清い河のような趣の人物だ。
そう評すると—「簡単にいえば、イージー・ゴーイング。困難に立ち向かって、何とかしようというようなことをしないんです。何もしんどい思いして、山に登らなくてもいい。ケーブルカーがあれば、ケーブルカーに乗って、リフトがあればリフトに乗って登ってきたんです」そうして、立派な高い山に登っていた。
やっぱり、うらやましい人である。