稲尾 和久さん 野球解説者・元プロ野球監督

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2001年12月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時64歳)

野球で生き方学んだ鉄腕の神様

日本のプロ野球界に大いなる伝説を残した鉄腕の持ち主、稲尾和久氏は、「神様・仏様・稲尾様」と崇められてきた。
西鉄ライオンズの黄金期を築き、シーズン成績42勝は現在も塗り替えられることがない。
投手生命は通算14年間と、太く短い野球人生を駆け抜けた稲尾氏だが、引退後は西鉄、ロッテの監督、中日のコーチを務め、現在も後進の指導や解説、講演等で活躍を続ける。
今年、64歳となった稲尾氏に厳しい現代を生き抜く心得を聞いた。

◎高校進学が人生の転機に

稲尾氏は、九州・別府出身。漁師の父は、5人兄弟の末っ子として生まれた稲尾氏に跡継ぎへの期待をかけていたという。
だが稲尾氏は、中学に上がると父親には内緒で本格的に野球を始める。鉄腕投手で知られた稲尾氏の中学時代のポジションは、意外にもキャッチャーだ。
「兄弟が多かったから、グローブを買うお金がなかったんです。けれど、キャッチャーなら学校のキャッチャーミットが使えた。野球さえできれば守備はどこでも良かったんです」。
一方父親は、中学卒業後は息子を漁師として本格的に仕込むつもりでいた。「『漁師に学問がいるか』と怒鳴られたけど、高校で硬式野球をやりたくて毎晩口説いたら親父も根負けして、『3年待ってやる』と折れてくれた。
今思うと、高校に行かせてもらえたことが人生の転機になった。
だから、親父には感謝してます」。
そう語る稲尾氏からは、父親への畏敬の念が見てとれた。

高校では、速球が買われて1年生からピッチャーに転向。
秋には早くも地元の新聞に載り、内緒にしていた父親にも知れる。
「怒られるかと思ったら、その逆で『中途半端にやめるな。
やるなら徹底的にやれ』と応援してくれた。キャッチャーをずっとやってたら、今頃は跡を継いで漁師になっていたでしょうね」。

◎太く短い野球人生に満足

戦後日本が、高度経済成長の活気にあふれる中、国民はプロ野球に熱狂していた。
稲尾氏が西鉄に入団したのは、そんな熱き時代、昭和31年だった。
小気味よい剛速球とスライダーで2年目には35勝をマーク。
入団後から西鉄を3年連続の日本一に導びき、「神様、仏様、稲尾様」と崇められた。
最近では中4日の登板が常識だが、当時の稲尾氏は中2日で登板し、連投に次ぐ連投にも疲れを見せない驚異的なスタミナで野球ファンを魅了した。
昭和34年、稲尾氏の戦績は南海の杉浦投手の38勝に破られる。
稲尾氏はこれを許さないとばかりに、36年にはなんとシーズン最多の42勝を獲得。
メジャーリーグの選手もこの記録には「クレージー」とばかりに舌を巻くという。
無謀とも思える登板数で鉄腕を奮ってきた稲尾氏は、8年目に肩を壊し1年休場することとなる。
「ファンの期待に応えられないのが辛かったですね。肩を壊した時は、ちょうど東京オリンピックで日本中が湧いていた頃。自分だけが、野球をやめて何をして生きていこうかと考えてました」。
しかし稲尾氏は再起を果たす。そのエピソードも“鉄腕”にふさわしいものだった。
「野球のボールと同じ大きさの鉄の球を投げて、何倍もの痛みに耐えたんです。
1カ月半ほど投げ続けて、ある日急に普通のボールが痛みなしに投げられるようになりました」。

◎己の信念が生きる道標に

昭和44年の引退後も、数々の伝説は語り継がれ、今なお解説や講演と多忙な毎日だ。
稲尾氏が聞いた説によると、野球解説者は現在56人。
つまり稲尾氏は、リタイヤ後も野球界に携わる数少ないひとりということになる。
それも、太く短く野球人生を駆け抜け、人々の脳裏に今も強い印象を残しているからであろう。
「今は、細く長く現役でいられたらという考え方のほうが多いです。
でも、サラリーマンのように40年は働けない。
だったら、プロ野球選手としてどう生きるかですよね」。講演では、野球人生や指導力についての依頼が多い。
とかく、スター選手だった人が指導者になると、自分が経験してきたやり方を貫こうとする場合が少なくないが、稲尾氏は「自分の経験が自身にとって貴重な財産でも、他人にとってもそうだと決めつけてはいけない」と言い切る。
「それぞれの長所を見抜く力の有無が、指導者の資質の第一歩であり、見抜いた長所をどう伸ばしていくかが重要なんです」。
また、リストラにあうなど、晩年の生き方に迷う人に対しては、「これからどう生きるかの前に、今までどう生きてきたかをまず自らに問うこと。成功したこともたくさんあるはず。
それを踏まえれば道は見えてくる」と話す。厳しい時代だからこそ、己の人生の中で築き上げられた“信念と自信”が実は生きる指針になるのだ、と。
「こうして働けるのも野球界のおかげ。今後は少年野球を通じ選手を育て、恩返しをしていきたいですね」と語る稲尾氏の眼は、揺らぐことのない真っ直ぐな力に満ちていた。