左 幸子さん 女優

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2000年09月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時70歳)

“夕暮れの太陽”のような晩年を

都立第5商業高等学校で2年間、保健体育・音楽の教諭を務め、昭和27年にデビュー。
以後、『女中っ子』、『飢餓海峡』をはじめ、女優として意欲作、問題作に多数出演し、国内外の主演女優賞も数多く受賞されている左幸子さん。
年齢を重ねるごとに深みを増す演技が、多くの観客を魅了してきた。
最近ではTBSテレビ系『快傑熟女!心配ご無用』に出演され、悩める男女に対して温かい言葉をかけられる左さん。
その半生と多くの難題を抱える高齢者問題について語っていただいた。

◎戦中戦後を生き抜いたお年寄りの苦労に学べ

介護や高齢社会という、いわば行政用語は乱暴だと左さんは嫌う。
1人ひとりが大変な苦労をして生きてきた人生を、単にひとまとめにして、マスの集団の中に押し込めてしまうからだという。
「私が演じてきた老齢の女性たちというのは、激動の時代をもっともたくましく生きた証みたいな人たち。役から励まされたことも多くありました。明治、大正生まれは、ドラマチックな時代背景を生き抜いてきた、いわば人生のエリートです。戦中戦後を戦い抜いた人たちがいたから現在があるのに…。歴史をもっと真摯に考えないと。歴史観を持たない日本人の悪癖が曖昧さを生んで、老人の問題を含めてすべてを曖昧にしていると思うんです」。
左さんは、パラパラ、ガングロなどに代表されるように、みんなと同じ遊びやファッションで安心している若い人たちを見ていると怖くなるという。
「20世紀の最後の今、20世紀をどう生きてきたか、今いらっしゃる方が生きているうちに語らないとだめだと思う。でも、それと反対にお年寄りを見せ物にしている」。
歴史に学ぼうとする謙虚な日本人の心を取り戻すことが、今、必要だと左さんは力説する。

◎肺ガンで左肺を切除して半年ダンスで体力回復を目指す

左さんは、肺ガンで左肺を4分の1切除して半年になる。
胃を全摘出したのは15年前だ。大病を経験しているが、口調は明るい。
ただ、腸捻転になった時からは、術後、自分ではガスの調整ができなくなって、だれにも会いたくなくなり、家に引きこもることが5〜6年続いた。
昭和という時代を振り返っているうちにあっという間に過ぎたという。
この前は、1時間立ち続けて講演でき、体力の回復に自信が出てきた。
“生かされている”という実感が湧いてきたという。
「50代はじめの頃は、自分ひとりで頑張って生きているという感覚だった。でも、今は親からもらった臓器がなくなっても、“おまえ、まだ何かやることがあるんじゃないか”といわれた気がしているんです」。
それには体力をつけなくてはと、なるべく多く歩くことを日課にしている。
しかし、左さんは15歳の時に敗戦を迎えた世代。歩くことは軍事訓練を思い出してしまい、なかなか楽しんで歩けないという。
今は、足の訓練のためにソシアルダンスでも始めようかと思っているところだ。

◎高齢者にはテープレコーダーを話すことで解放され楽になる

左さんは、お母さんを介護した経験を持つ。そのため家の中も改修した。
だが、お母さんは現在病院に入院中で意識もないとか。
そんな経験から、介護される側の気持ちにもあれこれ思い至る。
例えば、お年寄りにはテープレコーダーが使えるのではないかと考える。
人生経験豊かなお年寄りは、話題が豊富だ。しかし、表現する場が限られている。
表現する機会が少ないと、痴呆も進みやすい。
テープレコーダーに話を録音することは、孤独なお年寄りの表現の一助になるのではないかというのだ。
「寝たきりでも頭のしっかりしている人は、人の悪口しかいわないと敬遠される。動けないから余計に自分を表現したい。そういう時に、おばあちゃんの恋愛や昔話などを録音して、自分の話を語れると精神的にも解放されてくると思うんです。受け身ばかりだと、頭が退化してしまいますからね」。
左さん自身も、話すと心が開けて楽になる。子どもの頃の友だちと、出身地の富山弁で、昔に帰って思い切り話すのだそうだ。
感情そのままに表せる土地の言葉は、標準語よりも感情表現が深いという。
「『桜の園』の娘のセリフに、“まるで夕暮れの太陽のようだ”という言葉があるんですが、本当に夕日はなんとも美しい。その輝きを持った年齢こそ大切にして楽しんだ方がいいと思います。黄昏じゃなく、“夕暮れの太陽”と表現すると高齢者への見方も変わってくると思いますね」。
お年寄りは社会に貢献してきたからこそ、晩年は美しく華やかに生きてほしいし、自身もそうありたいと左さんは考えている。