生島 ヒロシさん キャスター

このエントリーをはてなブックマークに追加
1999年05月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時48歳)

「人生の幕引きのお手伝いの精神で 介護にあたって!」

清潔感のある明るい容姿と活舌よい語りで人気のキャスター。
TBSから独立して10年、テレビ、ラジオにと活躍する一方、東北福祉大学客員教授として教鞭をとり、医療、健康、福祉問題に取り組んでいる。
きっかけは、義理の母親の介護。今も続くその体験を、近々『おばあちゃま、壊れちゃったの?(仮)』(三笠書房・6月上旬発刊予定)と題した本にして出すが、そこに込められた想いとは…。

◎ある日突然ふりかかってきた義母のまだら呆け

「人生にはまさかの坂があるな…、と」。義母が呆けかかった当時のことを生島さんは、そういい表した。
公認会計士をしている義父とふたりで暮らす義母は、当意即妙、軽妙洒脱な人で、小意地の悪いこともいったりと、話していてとにかくおもしろい人だった。
会いに行くたびに、何不自由ない暮らしぶりに「年をとっても元気な人はいいよね」と話していた。
それが、3〜4年前のある日突然、義母が同じ話を繰り返すようになった。まだら呆けの徴候だった。
その後、膝の半月板の損傷で足を傷め、車いすを使用するようになり、本格的な介護が始まる。
「その頃の生活を見ていると、現役の義父はいつも仕事で夜が遅く、義母は常にひとり家にいて、一日ボーッとテレビでも見ていたんじゃないかな。
兄弟、子ども、孫たちがよく出入りはしていたんですが、友達を積極的に作るタイプじゃない。
経済的にも困っているわけじゃないので、自然と人と接したり動いたりということがなくなる。それが良くなかったんですね。
やはり、適度な運動と食事、そして仲間と自分の趣味を持つことが大切なんです」。
今は手厚い介護のおかげで、まだら呆けも落ちついている。
「それまで、寂しかったんでしょうね」とやさしくつぶやいた生島さんだが、「メディア側にいる僕自身も初めて介護問題が現実となり切実になったわけですが、今の日本社会の仕組みでは誰にとっても人ごとではない問題なんです」と日本の老人介護事情を憂慮する。

◎介護の質の問題は大きなテーマ“やりがいの精神”で臨んで

世界でも稀にみるスピードで、高齢少子化社会が日本に迫っている。
そのうえ、日本経済はサラリーマンの生活根幹を揺るがすまでになっていて、その先行きも暗い。
より厳しい状況を背負うことになる若者の自覚が全然足りないのでは、と生島さんは心配する。
「甘えの構造の中で自己中心になった今の若い人たちには、徴兵制のように介護ボランティアを義務づけて、社会的絆や責任とか弱者に対する思いやりを学ぶ機会が絶対必要だと思うんですよね。そうでもしないと、人の痛みや自分が老いるということがわからないでしょう」。
ヘルパーにも同様のことがいえる。
義母の介護には兄弟と義姉、生島夫人とヘルパーさんを中心に、常時3〜4人が交替で介護し、うまくいっている。
しかし、ヘルパーさんが固定し、ここまで来るまでには紆余曲折があった。
守秘義務なんて全然おかまいなく、べらべらしゃべる人もいたし、寂しがるから夜遅くまでいてもらうよう頼んだら、お金に困っていたらしく、24時間の請求を出してくる人もいた。
「介護の質の問題はすごく大切で大きなテーマですよね。
ヘルパーさんが社会的に手厚く認められ、それなりの待遇を受けるべきだと思うんですが、ビジネスライクだけではいけないのではないかと。
今まで頑張ってきたお年寄りの人生の幕引きをお手伝いする素晴らしい仕事だという想いを根っこにおさえてないと」。
また、介護サービスを利用する家族にも問題があると感じる。
「日本人は細か過ぎますよ。いちいちそこまで要求してたら身が持たない。
お互いがどこかで目をつぶる術を持って補完し合えば、上手にやっていける。
お互いに感謝し合える関係が基本ベースにないと」というのが実感だ。

◎介護は肩の力を抜いてマラソン感覚で疲れたら僕の本を読んで元気になって

現在の義母の様態は、内臓の調子が良くなってきたこともあり、「これは、100歳まで生きるよ」と皆で笑って話すほどに。
だから介護は、「これから先どこまで続くかわからない。
最近は短距離走からマラソンにシフトして、走るスピードをゆっくりにしました」。
そういう生島さんも、最初は「よし、わが家で全部面倒みよう」と力が入っていた。
しかし、一時家であずかっていた時は、家の中は戦争状態になった。
夜になると不安になるのか、わめいたり、動けないからトイレに行くたびに介助しなければならない。
子どもたちもサッカーの早朝練習で、朝が非常に早い。
寝不足で精神的にイライラし、夫婦喧嘩が起きる。
子どもにかえった義母はブーブー文句をいうようになる。
「そういうことを背中に背負うと、独立して仕事をやっているので何の保障もないわけで、先行きが不安になりますよね。
でもそれが逆に、何があってもへこたれないという静かなる強さにつながりました。僕が音を上げたらしまいだから、あるがままに受け入れようと」。
義母の入浴介助は生島夫人でなければだめで、夫人がぎっくり腰になったり、義父が病気で手術をした時には、老人保健施設を利用したりしている。
「ほんと大変ですよ。でも、ウチでは落ち込まないで明るくやっちゃってるんですよ。
介護はみんなに訪れること。
あまり深刻に重く受けとめないで、肩の力を抜きながらやって行かないと、身が持たないでしょう」。
今、生島さんはそんな想いを原稿に込めるべく、仕上げ段階で格闘している。
「介護に疲れた時に読んでもらって元気になるような本にしたいんです」。