大屋 政子さん 実業家

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1995年07月-月刊:介護ジャーナル掲載より

「徹夜続きも平気。パワーの源は借金や! がんばって老人ホームを建てたい」

フリルひらひらの赤いロングドレス、「うちのおとうちゃん」と話す独特のしゃべりかたで、強烈な個性を放つ大屋政子さん。
夫で元帝人社長、故大屋晋三氏の存命中から不動産業やゴルフ場経営といった事業を興し、バレエやオペラの発展に力を注ぎ、また「天が茶屋の政子ちゃん」の異名でタレント業にも精を出す。
いくつもの顔を使いこなす“怪物”のパワーの源に迫る。

◎結婚を機に実業家の道へ死ぬ気で事業拡大

「全日本令嬢名鑑」(昭和14年発行)に掲載されるほどの名家に生まれた大屋さんだが、27歳年上の晋三氏との結婚で、思わぬ道を歩むことになる。
娘を2人もうけた大屋さんは、年の離れた夫に万が一のことがあったら、と経済的不安を感じ、28歳で「何をすれば儲かるか」と考え始めたのだ。
以後、現在まで不動産業を皮切りに、ゴルフ場(国内2カ所、海外3カ所)、アパート、ガソリンスタンド、駐車場、焼き鳥屋、タクシー会社、バレエ教室(生徒数300)、老人病院、介護福祉士養成のための福祉専門学校と多岐にわたる事業を展開。
すべて夫の名を借りず、自分一人で資金を工面し、借金を返しながらここまでやってきたという。
「人に裏切られたり、屈辱を受けたりして、後家になって3回自殺しよかと思た。
けど、死ぬ気でやったら何でもできる、そう思い直してやってきた」そのパワーたるや「昔は丸4日徹夜できたけど、今は2日でしんどなる。
けど、ゴルフは3ラウンドまわれるよ」というから絶句する。
「孫が、おばあちゃん、やっと普通の人になってきたねって言うんやけど、借金がうちのパワーやね。
それ返すまでは死なれへん思てるから。
年とったわ言うて嘆いてる人多いけど、うちはそんな風に思たことないし、死ぬいうのも考えたことないわ」四柱推命によると大屋さんは、96歳でポックリと死ぬまで、家族を養い続けるそうだ。

◎帰るところのない人のために病院の次ぎは老人ホーム

大屋さんは1963年に関西で初めての人間ドックを作り、その後リハビリや入浴を重視した、まさに厚生省のゴールドプランに沿った人間ドックつきの老人病院「帝塚山病院」(180床)を1988年に開設し、娘さんが先頭になって頑張っている。
奈良にも同様の「奈良東病院」(260床)も持ち、次なる目標は老人ホームだとか。
「退院しても帰る場所がない、いう人が多いのよ。
そやから老人ホーム建てたいの。
土地を探して5年も6年もなるけど、30億とか40億とか言われるから建てられへんのよ」現在、大阪市交通局の跡地に、ベビーカーのメーカーが老人ホームを建てる話が具体化している。
もちろん市がメーカーに依頼した形だから、土地はタダ。
「ショックやわぁ、そんな話。なんでうちに声かけてくれへんねやろ。
こんだけゆうてんのに…」と大屋さんはガク然とした様子。
福祉の制度もいろいろに変わって来ている。
まず今年からは、各市町村が老人保健福祉計画を立てて実行するように義務づけられ、平成9年からは一人一律の公的介護保険がスタートする。
また、国は老人病院、特別養護老人ホーム、老人保健施設の3つを誰でも同じ程度の金額で入れるような制度も考えている。
「どんどん、ええように変わってきてるんやねぇ。
今日、インタビューに来てくれてよかったわ。
うちも、もっと勉強するわ」新たなる目標に向かって意欲十分のようだ。