滝田 栄さん 俳優

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1997年08月-月刊:介護ジャーナル掲載より

老いの時期を人生で最良の時にしたい倒れたらリハビリにもトライする!

テレビの料理番組やCMに、舞台にと精力的な活動を続ける滝田さんが、リハビリ用紙おむつのCMに出演していることをご存じだろうか。
実の母が寝たきりの祖母の介護で大変苦労していたのを見て育った滝田さんは、義母が倒れた時、友人の理学療法士に指導を仰ぎ、家族でリハビリに取り組んだ。
その経験から“寝たきりの人も起き上がれる”ことを実感し、「少しでも多くの人に知ってもらいたい」とCMに出演したという(当時47歳)。

◎寝たきりの人もリハビリで起きられるCM共演者も自力で排泄できるまでに

U社から最初にCMの話があった時は、なぜ僕がパンツの宣伝に……とたじろいだという。
しかし、“本当に人が生きる行為としてのCMを制作したい”という熱意に動かされた。
しかも、「寝たきりの人を起こしていくためのトレーニングパンツであり、トレーニングによって寝たきりの人の90%がもう一度自分の足で立ち上がれる可能性がある、という話を聞いた時に、これはやらねばならないなと思ったんです」。
滝田さんが子どもの頃、お母さんが寝たきりの祖母に毎日献身的な介護をしており、それは端から見ても大変な苦労だったという。それゆえ、義母、つまり妻の妙子さんのお母さんが倒れた時には、“寝たきりにしたら大変”とリハビリにチャレンジし、成功した。
こんな経験を持つ滝田さんは、U社の主旨がはっきり理解できたのである。
テレビCMに一緒に出ているおじいさんにも、滝田さんは「トレーニングすれば必ず動けるようになるから、やってみませんか」と自然に声をかけていた。
まさか自分が再び起きて動けるようになるとは考えていなかったおじいさんも、滝田さんと話すうちにその気になり、トレーニングを開始。
「会うたびに良くなっていって、今では排泄も自分でされています」と滝田さんは自分のことのように喜んでいる。

◎家族ぐるみで義母を介護温かい“言葉”と“手”が必要

滝田さんは、義母を看る中で「老いて死にゆく時というのは、人間が生きている中で一番大事な時」だと考えるようになった。
だからこそ、「その時期を一番いい状態で快適に過ごせるようにしてあげたいし、自分もそうしたい」のだと。
その考え方の根本にあるのは、“老いは自分ごと”だという発想だ。
自分が老いた時、自分が良い死に方をしたいと思ったら、親や世話になった人たちにできる限りの手助けをすること。
そしてそれは、子育てと同じぐらい責任があることだという。
また、家族が力を合わせて老親の介護をするのは、家族の絆を強めるチャンスでもある。
妙子さんのお母さんが倒れた時には家族会議を開き、大人も子どもも協力して介護にあたった。
義母のリハビリは、月1回友人の理学療法士に来てもらい、その時の症状に合わせた方法を教えてもらった。そして、教えてもらったことを家族でやり続けた。
その時の教訓は、「相手はあくまでも老人なのだから、できる時とできない時がある。昨日できたことが今日できなかったりする。
老いていくというのはどうにもならないことで、それに対する思いやりの言葉、そして温かい手が必要」だということ。
幸い、義母は「ありがとう」と笑いながら亡くなったという。
子どもたちも、「人生っていいな」「みんなでやったね」とみんなでやりきったことに満足していたそうだ。
ただ、行政の支援体制には不満がある。「うちはファミリーと弟夫婦がいたからできたんですよ。
普通はそこまで手のない場合もありますから、そういう時は第三者であるプロの介助が必要です。
今は、人間が生まれてくる時の施設は、非常に充実しています。でも人間が老いていく時の施設というのは、ほとんどない状態ですよね。
僕はその中でもリハビリの施設、スタッフの数などは、生まれる時の施設と同じぐらいの規模と数が市町村にあったらいいなと思うんです」と、リハビリセンターの充実を望んでいる。

◎元気に生きて元気に死にたい最期は家族とともに生きる

滝田さん自身の老後については、「元気に生きて元気に死にたい」と単純明快だ。
特別な健康法を研究しているわけでもない。ただし、仕事がら、精神面ではなるべくマイナス思考にならないように意識しているという。
「とにかく一番いい状態を常に心がけてやっていると、明るく生活できるし、仕事もバリバリできるようになります。
それでめいっぱい生きて、年を取ったら、できたら元気なまま、元気に“ありがとう、さよなら”っていって死にたいですね」。
もしも病気で倒れて、自分の思いを表現できないような状態になったら、一度でいいからリハビリを試してくれ、と妙子さんや子どもにいっているという。
「もし女房が先に倒れたら、必ず僕がリハビリにトライするから、一緒にやろう。
そして、口が不自由になっても、なんらかの形で互いの意思を通じ合わせながら、最後まで家の中で生きよう、といっています」。
最期まで家族とともに、が滝田さんの願いである。