長門 裕之さん 俳優

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1997年05月-月刊:介護ジャーナル掲載より

可能性を信じて、役者で汗を流すことだけ洋子の“愛情ある目”が何よりの安らぎ

芸能一家に育った長門裕之さん(当時63歳)は、6歳で映画界に入った。芸歴は長いが「常に成長過程」だという。
人から求められて初めて演じることができる役者という職業を「非常に他立的」と分析するが、自分の中に役柄の要素を探し当てることができた時の楽しみにいまだなお魅せられ続けていると語る。

◎たとえどんな役でも求められれば演じる

長門さんの近親者には故人も含めて多数の映画人がいる。
環境的にはとても恵まれていた。「僕にはウラ家業ってのはまったくない。オモテ家業の役者で汗を流すことしか職業として選ぶ余地がないんだ。つまり無芸なんだよ」。
そう歯切れよく話す長門さんの口調からは、環境からだけではない、役者への愛着が感じられる。
「役者っていうのは非常に他立的な職業でね、誰かが長門裕之という存在を認識しないと仕事として成り立たない。情けないっていうか心細いね」。だから役はあえて自分から選ばない。
「向こうがこの役は長門さんで、と求めてきたら異論はない。たとえとっつきの悪い役でも、俺の中にその可能性を見出してくれたら演らざるを得ない。そしてそれがまた楽しみでもあるんだなあ」。
内面の役作りは思考錯誤の繰り返しだというが、身体は「素材として生の自分を出してる。髪を染めたり、毛を植えたりなんてことはしない。ハゲたらハゲたでいいよ。ハゲで62歳のこのキャラクターが欲しいっていわれればそれでいいわけだから」と素材としての自分を大切にしている。

◎普通の夫婦とは違う安らぎがある

妻の南田洋子さんと連れ添って35年。歌番組の司会やCMなどで共演もしてきた。夫婦で同じ舞台に出演することもある。
「舞台のソデでセリフを繰りながらスタンバイしてる時にはものすごいエネルギーがいるわけ。その時、先に出番を終えて戻ってきた洋子がすれ違いざまに俺の手をそっと握ってくれる。この肌と肌の触れあいが助けになるし安らぎでもある。こういうところは普通の夫婦とはちょっと質が違うかもね」。
お互いの仕事上の助言も遠慮なくしあう。「俺たちは常に成長過程だから。到達点なんてまだ先のこと。自分の感性で疑問を感じたら、内に込めずにどんどんオープンにしていく」。しかし立場が同じだけに意見も辛辣なのではないだろうか。
「こんなキャリアの高い女優さんが俺のことをじっと見てくれていってくれてるんだから。しかも愛情を持って。
こんないい視点があることは安心ですよ」。だからすぐに反省できるのだという。
健康管理についても「俺はものぐさだから洋子の目が頼りなんだ」と目を細める。
1年前、閉塞性動脈硬化症の手術を受けた長門さんを気遣って、南田さんは食事のことにも細かくアドバイスをくれるという。
夫婦は常にお互いへの愛情と尊敬を忘れてはいけないと気づかせられる。

◎人生も終盤だからどっしりと構えて

還暦を迎えて長門さんは「人生に対するある種の名残惜しさのようなものを感じた」という。
「でも、あと少しで自分は高齢化社会の一員を構成するんだ、というふうに思ったら、なんかスーッと落ち着いた。
人生の終盤にきてやっとどっしり構えられたなって気がするんだよね。
役者は生活の保証がなくてそのレベルも変動するけど、そこのところは経済的にも頭の切れる洋子に任せて、右顧左眄せずに、落ち着いてうまく年を取りたいね」。
去年、長門さんの叔母である沢村貞子さんが亡くなられ、散骨が話題になった。
「あの人は80になっても女優として存在することを要求されてた稀な存在だったけど、ある日突然こんな面白い職業に自分で幕を引いた。あの度胸はたいしたもんだ」。
死ぬ直前まで仕事に従事して、あっという間に死んでいくのが長門さんの理想だが、沢村さんの生き方には共感をおぼえると話す。
長門さんご夫婦はもうお墓も準備しているそうだ。「実家の墓を2人でお金出し合って作ったんですよ。もう家を建てるような心境でね、自分たちはいつかここに入るんだな、と」。そのお墓にはお2人の芸名が彫ってあるという。
「行きすがりの人が“あっ、長門さんのお墓”と気づけばちょっと手を合わしてくれるんじゃないかという、ほんの微々たる人間関係を求めてね…」。だからとても大切なモニュメントなのだと、長門さんは少し照れくさそうに教えてくれた。