川上 哲治さん 野球評論家

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1997年01月-月刊:介護ジャーナル掲載より

野球一筋の人生を歩んできて本当に良かった基本と技術を子どもたちに伝えることが恩返し

熊本工業を3回甲子園に導き、巨人軍に入団後は不動の4番打者として通算2351本安打を記録、“打撃の神様”といわれた川上哲治さん。現役引退後も巨人軍の名監督としてリーグ優勝9連覇という偉業を成し遂げるなど、常に前人未到の境地を切り開いてきた人である。
ユニフォームを脱いでからも解説者としてマイクの前に座る傍ら、「野球で恩返しを」と全国各地で少年野球の指導にもあたり、川上さんの野球人生はまだまだ続く。(当時76歳)

◎好きな野球に打ち込める幸せ苦労を感じなかった現役時代

「現役時代は、いい成績を上げるためにいかにして自分の技術を磨くか、ということしか頭になかったですね」という川上さんは、下宿の部屋の畳が擦り切れてしまうほどに、毎日700回から1000回の素振りを欠かさなかったという。
「球を想像しながら振るんです。そしてお手本は相手チームのバッターのいい打ち方。コーチなんていませんでしたからね。その素振りの成果を次の試合で出す、ということを繰り返してました」。
そうした努力があって、史上初の2000本安打の記録が生まれたわけだが、「今も昔もスポーツだけは、理屈を学んだらそれを練習によって身につけるしかないんです」。だから、ただひたすらバットを振り続けたのだという。
「野球をやっていたから進学もできたしプロ野球にも入れた。それならばいいバッターになろうと一所懸命だったから、練習を辛いとか苦労に感じたことはない」と川上さんは当時を振り返る。

◎データ分析で選手を正しく評価今日のプロ野球体制を築く

名選手は必ずしも名監督にあらず、とはよくいわれることだが、もちろん川上さんは違う。14年間の監督生活のなかで巨人軍を11回優勝に導き、9連覇を達成するなど巨人の黄金時代を築いた。
「勝つことを常に目標に置き、それに必要なことを探りながらやっていたんです」。そして、当時の監督としては初めて、選手の食事や日常生活などについての細かい健康管理に着手した。
管理に慣れない選手からの反発も想像できるが、選手を正しく評価することで勝利への道筋を作った。
「試合後1時間半ぐらいかけて、コーチたちとその日のゲームでの選手の働きを分析するんです。130試合全部記録したものを集計すれば、どの選手がどのくらい働いたかということが分かるんです」。今ではどこの球団でも選手データをコンピュータで管理しているだろうが、驚くことに当時、年俸はどんぶり勘定で支払われることが多かったという。
「いい成績を上げた選手には年俸で評価を」と心を砕いてくれる川上さんには、当然多くの選手がついてきた。それだけに、今のプロ野球界で、年俸が上がったとたんに働かなくなる選手を見ると、残念でたまらないのだという。「プロならばプロらしいプレーをしていかないと、球界は発展しない」と将来を憂える。

◎子どもにはスポーツが必要野球指導は私の“恩返し”

「私の人生は、野球。野球をやっていて本当に良かった」と心からの笑顔で話す川上さんは、後進の指導にも熱心である。
ひところより回数は減ったものの、少年野球の指導で全国に出かける。戸外での遊びが足りない今の子どもたちを心配する川上さんは「野球に限らず、子どもは何かスポーツをやればいい。そうすると発散されて深刻なイジメの問題もなくなる」と考えている。
「今は練習方法も研究されてるから、早くうまくなりますよ。ビデオもありますしね」。川上さんの時代にビデオがあれば、3000本安打も夢ではなかっただろう。
少年たちへの指導は、「基本からみっちり3時間ぐらいかけて教えます。大変なんですが、正しい基本が大事だから」と決して手を抜かない。そんな川上さんを見習って引退後に指導者として各地を回る元プロ野球選手たちも増えてきた。
「野球をやめて田舎へ帰ったとしても、その地域の少年野球の指導をしてあげるというのが、プロ野球で生活した人たちのご恩返しじゃないでしょうか」。
川上さんの意志を引き継ぐ人たちがいるかぎり、いい選手、よき指導者たちが育ち続けるに違いない。