大野一雄さん 舞踏家

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1996年05月-月刊:介護ジャーナル掲載より

時として心は宇宙の果てまでも拍手受け、踊るほどにエネルギー湧く

今年(1996年)90歳になる舞踏家である。日本のモダンダンスの創始者の一人で、戦争で中断したものの、もう60年以上踊り続けているという。これまでも今も、「やめようなんて考えたこともない」と話す、驚くべき現役である。

◎感動で客を泣かせる踊りが生きるエネルギー

日本の伝統音楽、波や風の音、クラシックなどのさまざまな音楽に乗って、大野さんは踊る。時にはブラウスやスカートをまとい、「女性」を踊ることもある。その自在な全身表現は、「なんだかよくわからないけど、涙が止まらないくらい感動した」と言うファンがいるほどインパクトが強い。
「嬉しいですね。見終わって、よくわかりましたなんて言われる事があるんですが、そんな風に言われても困ってしまうんです。だって、私もわからなくてやってるんですから」大野さんの舞踏は、「同じものが二度とできないと言ってもいい」くらい、一回ごとに動きや内容が異なる。
「少しでもよくやりたいから。それに、その場でやったことが新鮮であるというか、やればやるほどダメになることだってありますから。同じ動きでも、宇宙の果てまで気持ちがいくときがあるんですよ」。
注目すべきは、やはりその年齢。が、「私の年?別にどうといって…」さらりと受けとめられた。しかし、1時間もの舞台を踊り続ける力は、どこから湧いてくるのだろうか。
「年だけ考えると、とても踊れるような年じゃないんだけど、踊ることでエネルギーが湧いてきます。生きるエネルギーは、年をとればとるほど増してきますね」体験の積み重ねは年毎に増し加わりますから舞台に上がっても疲れたことはないと言う。
「拍手してもらって、みんなに喜んでもらうことで、逆に励まされてます。ですから疲れてるひまはないです」先日(2月初旬)にはニューヨークへ行き、近々はカナダで公演予定とか。なんともエネルギッシュだ。

◎きっかけは体育教師の頃世界にただ一人の舞踏家

ダンスを始めたのは、体育の教師をしていた頃のこと。男子校から女子校へ移ったのを機に、勉強のためならい始めたのがきっかけだ。そのうちに、自分の魂を現す踊りをやりたいと思うようになった。
「こうしてああしてという、体育ダンスを教える、それに一生をかける気持ちにはなれなかったんです。46年間、女子校に勤めましたが、芸術的なダンスを、ついに一回も教えることができなかった。とてもむずかしいんですよ」。
大野さんの舞踏は、「おそらく、世界でただ一人」と言われるほど独創的なもの。弟子も30〜40人いるが、「受け継ぐのはむずかしいでしょうね」と話す。自分の作品は自分で見い出さなければと、いつも自分に言い聞かせているのでそれは大変なことだと思っていますから研究生にとっても大変なことだと思っています。

◎医療こそ美と感動を精神病院で踊る

大野さんには医療現場とのつながりもある。釧路の精神病院で、患者を前に、亡き院長を偲んで踊ったことがあると言う。
その院長は、「病気が治ったからといって、落ち込んでどう生きればいいかわからない人を帰す訳にはいかない。医者は、ただ治せばいいというのではなく、もっと精神的なもの、生きるエネルギーを持ってかえってもらうべきだ」という考え方の持ち主で、「こんな先生もいるんだ」と共鳴した。ところが、いよいよ開業という時、事故にあって急死。現在は、その弟が院長を務めており、「病や老いは、人から美意識や感動といった心の動きを奪い去ろうとするが、だからこそ医療従事者は、彼らに美と感動を提供しなければならない」と舞踏を依頼した。
「美に対する意識は、生きようとするエネルギーに含まれると思います」大野さんは手を挙げ、「先生、元気ですか」と天に向かって呼びかけて踊った。すると患者さんが「元気ですよ」と答えを返してくれた。「だから踊りは、やめられないんです」踊る喜びを知り、天職を得た人の言葉だった。